大判例

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大阪地方裁判所 昭和63年(わ)500号 判決

主文

被告人を死刑に処する。

押収してある刺身包丁一丁(昭和六三年押第三五九号の3)及び果物ナイフ一丁(同号の4)を没収する。

理由

(被告人の略歴と本件犯行に至る経緯)

被告人は、昭和一五年一月二四日大阪市内で出生し、昭和二〇年父母兄姉と共に父母の郷里である兵庫県赤穂市(当時は赤穂郡)に疎開したが、同年六月右疎開先で父が死亡したため、以後母に養育されて、終戦後も家族と共に同地で暮らし、地元の中学校を卒業後、しばらく家族から離れて神戸市内で稼働したものの、家族のもとに戻って旋盤工等をして稼働した。しかし、被告人は、赤穂市内でトラック運転助手として稼働していたころの昭和三二年、地元の幼稚園に窃盗の目的で侵入して同園内にいた女性に騒がれて同女をナイフで切りつけたということで強盗傷人事件で検挙され、この事件が家庭裁判所に係属中に同市内の製材所に就職したが、翌昭和三三年二月一九日右事件につき保護観察処分で済まされるや、無断欠勤を続けて、その間の同月二三日小遣欲しさに金銭を強取する目的で通行中の当時二一歳の女性に殺意をもって背後から刺身包丁で刺して刺創を負わせたということで、強盗殺人未遂罪により同年七月一八日神戸地方裁判所姫路支部において懲役五年以上八年以下に処せられ、奈良少年刑務所に服役し、昭和三八年一一月に仮出獄した。被告人は、右仮出獄後、大阪市内のプラスチック加工会社や前記製材所に勤務したが、その間、昭和四一年六月には広島県内に出かけて路上で包丁を携帯していたことで銃砲刀剣類所持等取締法違反罪で罰金五〇〇〇円に処せられ、さらに、昭和四二年五月大阪府下において路上強盗の目的で洋食用ナイフ等を携帯して徘徊したということで、強盗予備罪により同年七月一五日大阪地方裁判所において懲役八月に処せられて服役し、昭和四三年二月に仮出獄した。そして、被告人は、右仮出獄後再び前記製材所に勤務し、同年八月末ころからは大阪府下の運送会社のトラック運転手として稼働したが、そのころに売春婦から移された淋病のため下腹部に激しい痛みを感じたこともあって無断欠勤を続けるうちに所持金が乏しくなり、同年九月一九日、右淋病の治療費や小遣銭を得るため、強盗目的で大阪市天王寺区内のアパートの階段踊り場付近で出入りの人を待ち伏せ、右階段を降りてきた当時二四歳の女性の左胸部を殺意をもって所携の文化包丁で突き刺して金銭を強取し、同女を殺害したという強盗殺人罪により、翌昭和四四年二月六日大阪地方裁判所において無期懲役刑の判決(同年八月二一日控訴棄却、昭和四五年三月一〇日上告棄却)を受け、大阪刑務所に服役して昭和六二年四月三〇日仮出獄により大阪保護観察所の保護観察下に更生保護会和衷会の寮に帰住し、しばらくは同寮から建設現場に働きに出て更生の意欲を示していたところ、保護観察所の許可を得て同年六月一四日に同寮を出て大阪市天王寺区内のアパート瑞晃苑の一室を賃借して一人で住むようになり、それからは殆んど満足に稼働しないで、右瑞晃苑に入居の際の保証金、家賃、転居費用、家財道具購入費などを出捐してもまだ四、五〇万円ほどあった受刑中の作業賞与金や服役中に死亡した母が残してくれた郵便定額貯金の払戻金などの手持ち金を費消して生活してきた。ところで、被告人は、昭和三八年から昭和四三年にかけての世間での生活の間に時折会った姉の長女である甲野啓子(当時四歳位から八歳位)が自分によく懐いてとても可愛く思ってきたことから、前記の無期懲役刑で服役中も啓子との再会を心の支えとして苦しい受刑生活を耐え忍んできたが、その仮出獄後、兄から、嫁ぎ先等の手前もあり姉が迷惑するので姉方には会いに行かないよう言い含められ、姉の住所も教えてもらえなかったところ、啓子に会いたい一念から、和衷会の寮を出てアパートに住居を構えたら姉や啓子に会いに行っても良いだろうと思って、電話局の電話番号案内等で姉の住所等を調べたうえ、昭和六二年七月一日、レンタカーを借りて和歌山市内に住む姉方の近所まで行き、姉に電話して路上に出てきた姉と再会したものの、姉は立ち話をするばかりで被告人を自宅に招き入れてくれる素振りを見せなかったため、やはり姉は被告人を自宅に入れたくなく、啓子とも会わせたくないのだと思い、自分から啓子に会わせてくれと言いだすことも出来ないままに姉と別れ、落胆して前記瑞晃苑に戻ったが、同月七日、なんとか啓子に会えないかと思い、再びレンタカーを借りて姉方近くまで行き、姉方住居のマンションの下に自動車を止めて、啓子が出入りするのを待ったけれども、啓子の姿を見ることも出来ず、落胆したことから気を紛らわせるためにそのままレンタカーを運転して新潟方面に旅行し、同月一〇日、新潟市内において見知らぬ男に頭部等を殴打されて負傷して入院したことから、警察官より事情聴取を受けるうちに右レンタカーに積んでいたチェーンやロープ等の所持目的を聞かれ、所持金がなくなればこれらを使って強盗をするつもりであった旨自供したため、同月一六日帰阪を許されて瑞晃苑に戻ったものの、右のように無断外泊をしたことや警察官に自供したことが保護観察所に知れて、仮出獄を取り消されるのではないかと恐れて、保護観察所の呼出しに応じず、保護司の来訪に対しても居留守を使うなどして面会を避け、また、新潟市内で左手の親指を怪我したことや啓子との再会を果たせなかった失望感などから益々稼働する気が失せて無為に過ごすようになった。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  前記のようにして昭和六二年七月に新潟市から帰阪後、仕事もせずに瑞晃苑の自室に篭って、啓子と再会できなかったことなどを考えて悶々として過ごしているうちに、前刑の強盗殺人事件は二〇歳前後の若い売春婦から性病を移されたことがきっかけとなったもので、つき詰めればこの売春婦のせいで自分の半生を棒に振ってしまい、啓子とも会えなくなったと考えるにつけ、この売春婦が憎くてたまらず、幼少のころから女友達もできず、何かと若い女性にばかにされているような気がしていたこともあって、誰とはなく若い女性に対する憎しみの情が募り、同年八月一六日、成り行きによっては殺すことになるかも知れないがそうなっても構わないから若い女性を刃物で刺してやろうと思い、同日午後九時四五分ころ、瑞晃苑から果物ナイフ(刃体の長さ約10.3センチメートル、〈証拠〉)を携帯して出かけ、独り歩きの女性を物色しながら歩いているうちに、大阪市天王寺区〈住所略〉所在のマンション「夕陽丘セントポーリア」前歩道上で、約二一メートル先の同マンションの入り口からロビーに入っていく乙川夏子こと夏子(当時一九歳)の姿を認めるや、同女を襲おうと決意して同女を追いかけたが、同女が右ロビー内の二基並んだエレベータの片方に乗り込んでしまったので、右エレベーター横の点灯表示によって同女の乗ったエレベーターが八階で止まったことを確認してから、急いでもう片方のエレベーターで八階まで昇り、八階廊下を見回して同女を探すと、同女が同階の一室の玄関前に居るのが見え、その様子を窺っていたところ、同女が同室の知人を訪問したものの留守であったためエレベーターホールの方へ引き返して来たので、同ホールの柱の陰に身を隠して引き返して来る同女を待ち受け、同日午後九時五五分ころ、同女がエレベーターの前に立つや、同女を殺害するも已むなしとの殺意のもとに、やにわに所携の前記果物ナイフで同女の背後からその左背部を一回突き刺したが、同女の悲鳴を聞きつけた近くの部屋の住人が自室の入口ドアの錠を操作した音を聞きつけて同所から逃走し、同女に対し、入院加療二五日間を要する左胸刺創、左肺刺創(右ナイフが左背部から刺入し、左胸の内臓を損傷したもの)の傷害を負わせたにとどまり、同女を殺害するに至らなかった

第二  その後も、稼働せず、仮出獄を取り消されることを恐れて、保護観察所の呼出しに応じずに瑞晃苑の自室に引き篭って生活しているうちに、次第に所持金が減少し、同年八月末に支払わなければならない瑞晃苑の九月分家賃等三万円余りも支払えず、同年九月に入ってこの家賃等の督促に対し居留守を使って逃れ、同月一四日には当てもないのに同月二一日に右家賃等を支払う旨のメモを管理人に書き置いてその支払いの猶予を求めて凌いだものの、同月中ころには所持金が二万円位になってすぐに手持ち金を使い果してしまうことが目に見え、また、前示のとおり若い女性に対する憎しみの念も常に心中にあったことから、独り歩きの若い女性を襲って金品を強奪しようと思うようになり、同月一七日、今夜そのとおり強盗を実行しようと決心し、同日午後九時過ぎころ、当時手許に刃物が無かったことから、手ぶらで瑞晃苑を出て、独り歩きの女性を物色したり、女性を襲う凶器に使えそうな棒などの道具を捜しながら歩き、途中で紙を巻いた長さ五〇センチ位の金属製のパイプを拾って歩き続けていたところ、前方約四〇メートル位先の同市天王寺区小橋町一四番六三号所在のライオンズマンション上本町への通路に一人で入って行く丙沢秋子(当時一八歳)の姿を認めるや、同女を右金属製パイプで殴って同女から金品を強奪しようと決意し、同女の後を追い、同女が右マンション一階ホールでエレベーターを待っているのを見て先回りすれば同女の乗ったエレベーターを止めることができるかもしれないと思い、同エレベーター前の非常階段を四階まで駆け登って、四階エレベーターホールのエレベータードアの横に立ったところ、同日午後九時五五分ころ、同女が偶然四階でエレベーターを降りてきたので、やにわに同女に対し右金属製パイプでその頭部等を数回殴打する暴行を加えてその反抗を抑圧したうえ、同女から現金約六〇〇円、化粧品一式外一五点在中のセカンドバッグ(以上物品の時価約二万二〇〇〇円相当)を引ったくって強取し、その際、右暴行により、同女に対し、加療一二日間を要する左後頭部挫創・右前額部打僕擦過創・左手関節打僕症の傷害を負わせた

第三  その後も全く稼働せずに瑞晃苑の自室に引き篭って暮らし、所持金も底を突いた同年一〇月二日、保護観察所に引致されて前記和衷会の寮に戻されたことにより、そのころから同年一二月初めころまでは建設現場や工場で稼働し、その間に引き続き賃借していた瑞晃苑の自室の滞納家賃等も支払ったが、以後又もや全く稼働しなくなり、和衷会には夜間の警備員として稼働している旨虚偽の申告をして、週三日ほどは瑞晃苑の自室で過ごし、昭和六三年一月一一日ころからは和衷会に無断で瑞晃苑の自室に引き篭って暮らすうちに、次第に所持金を食いつぶし、同月一五日には所持金が六〇〇〇円位になって底を突き出していたうえ、成人の日であったせいか表通りを通行する若い女性のはしゃいだ声が聞こえてきて、前示の若い女性に対する憎しみの気持ちが高まったことから、若い女性を刃物で刺し殺して金品を強奪しようと決心し、同日午後九時ころ、刺身包丁(刃体の長さ約二四センチメートル、あらかじめ広告紙を巻きつけておいたもの、〈証拠〉は、その柄は加工したもの)等を持って瑞晃苑を出、独り歩きの若い女性を物色して歩いているうちに、雨が降り出して雨やどりに立ち寄った同市東区法円坂町二番一号大阪市高速鉄道第四号線(市営地下鉄中央線)谷町四丁目駅八号出入口から地下通路に降りてみたところ、同所地下通路が地下鉄改札口まで相当離れていて人通りの少ない人目につかない場所であったので、この地下通路でそのとおり強盗を敢行しようと考えて、右通路を往復しながら通行する独り歩きの若い女性を物色していると、同日午後一〇時三〇分ころ、右地下通路を被告人の方へ向かって歩いてくる丁海冬子(当時一九歳)の姿を認め、同女を前記刺身包丁で刺し殺して金品を強奪しようと決意し、同女に歩み寄り、やにわに広告紙を巻きつけたままの右刺身包丁を同女の胸に突きつけて「騒ぐな」と申し向けたうえ、「助けて」と悲鳴を上げた同女の胸部を右包丁で続けさまに二回にわたって突き刺し、よって、間もなく同所において、同女を左胸部刺創に基づく出血失血により死亡させて殺害したが、同女を刺した直後に同女の悲鳴を聞いて駆け付けて来た通行人の足音を聞きつけて直ちに同所から逃走したため、金品強取の目的を遂げなかった

第四  通行人等から金品を強取しようと企て、同月三一日午前二時五〇分ころ、同市東成区東小橋三丁目一〇番三二号付近路上において、刺身包丁(刃体の長さ約二四センチメートル、〈証拠〉)を携えて徘徊して強盗の機会をうかがい、もって、強盗の予備をした

ものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(事実認定に関する補足説明)

第一  判示第一ないし第三の各犯行における強盗の犯意について

一  判示第一ないし第三の各事実に対応する公訴事実は、いずれも、被告人は生活費に困窮してきたため通行人から金品を強取しようと企てて判示各犯行に及んだというのである。

これに対し、被告人は、捜査段階においては、右各犯行について、いずれも金銭に困窮し、また、若い女性が憎かったことから、独り歩きの若い女性を殺傷して金品を強奪しようとしたものである旨供述し、強盗目的の犯行であることを認め、第一回公判期日においても右各公訴事実を全部認める旨の陳述をしていたが、第五回公判期日以降の被告人質問では、判示第一ないし第三の各被害者を殺傷した動機について、前刑の仮出獄後、受刑中に心の支えとしてきた姪啓子との再会がかなわなかったことに落胆し、以後仕事もせずに悶々とした日々を送っているうちに、判示のようにして若い女性に対する憎しみの情が募り、ついに若い女性を痛めつけようとして各被害者を殺傷したのであり、判示第二の犯行において被害者からセカンドバッグを奪ったのは、被害者が右バッグで頭を防御していたので殴るのに邪魔になったし、咄嗟に若い女性の持ち物を見たいという好奇心がわいたためであって、右各犯行において公訴事実にいうような金品強取の目的はなかった旨供述し、弁護人は、被告人の右供述に副って、右各犯行につき被告人に強盗の犯意はなかった旨主張する。しかし、当裁判所は、判示のとおり、判示第一の犯行については金品強取の目的による犯行とは認めなかったけれども、判示第二及び第三の各犯行については、被告人は、金品を強奪しようとして右各犯行に及んだものであると認定した。そこで、以下、当裁判所の右認定の理由を説明する。

二  被告人が、前刑服役以前に時折会った幼少時の姪啓子を殊のほかいとおしく思い、前刑服役中もその思いを抱いて同女との再会を心の支えにしてきたが、昭和六二年七月一日と同月七日の二度にわたり和歌山市内まで出向いて同女と会おうとしたのにそれが果せなくて、いたく落胆したことは判示のとおりであり、関係各証拠によると、被告人は、その後も、姪啓子と会えないことで悶々とした日々を送り、それにつけ、同女との再会を果せられないのは、前刑の強盗殺人罪による服役のためであり、その事件の発端が二〇歳前後の売春婦に性病を移されたことにあるのだから、つき詰めればこの若い売春婦のせいであると思いをめぐらせ、今更ながらこの売春婦を憎らしく思うにつれ、少年のころより同級生らの若い女性から邪険にされてきたとの思いもあって、誰とはいわず若い女性に対して憎しみの念を募らせていき、判示第一ないし第三の各犯行当時もそのような感情を抱き続けていたことは認められる。

三  一方、判示第一の犯行当時ころから判示第三の犯行時にかけての被告人の経済状態についてみると、関係各証拠によれば、被告人は、判示のとおり昭和六二年七月一六日に新潟市内から瑞晃苑に戻った時には、所持金が判示の服役中の作業償与金や母の残してくれた郵便貯金の払戻金などのうちから予備費として取り分けておいた一〇万円だけになっていたのに、その後、左手親指の怪我や姪啓子と会えなかった失望感などから全く稼働せずに暮らし、同月下旬には兄姉に無理を言って合計一一万円送金してもらって生活してきたが、判示第一の犯行当時には手許にまだ六万円位の現金を持っていたこと、しかし、被告人は、その後も全く働かずに暮らしていたため、判示のとおり、同年八月末に支払うべき瑞晃苑の自室の家賃等の支払も滞り、その督促を受けて、同年九月一四日には瑞晃苑の管理人に対し当てもなく同月二一日に右家賃等を支払う旨のメモを書き置いて一時を凌いだが、その間、所持金は減る一方で判示第二の犯行に及ぶころには二万円位しかなく、このままではほどなく生活費に事欠くことが目に見えるようになり、現に同年一〇月二日保護観察所に引致された時には所持金が僅か六円しかない状態になっていたこと、そして、被告人は、右のように保護観察所に引致されたことにより、そのころから同年一二月初めころまでは建設現場や工場で稼働して、その間に瑞晃苑の自室の滞納家賃等も支払ったが、その後は又もや全く稼働せずに暮らし、昭和六三年一月一日には所持金が乏しかったことから和衷会での知人から二万円を借金し、同月二日に兄やその家族と会った際に兄から二万円をもらったものの、同月一一日には平素使っているラジオカセットレコーダーを七〇〇〇円で入質し、判示第三の犯行当時には所持金が六〇〇〇円ほどで、他に買い溜めしていた食料品がいくらか残っているだけで、間もなく生活に行き詰る状態になっていたのであり、それでも働きに出る気もなく、また、前記の和衷会の寮に戻る気も全くなかったことが認められる。

四  そこで、捜査の経過に従って先ず判示第三の犯行についてみる。

関係各証拠により、被告人が捜査段階において最初に判示第三の犯行を自供した経緯をみると、被告人は、昭和六三年一月三一日午前二時五〇分ころ、警察官の職務質問から判示第四の犯行の包丁の携帯が発覚して銃砲刀剣類所持等取締法違反の容疑により現行犯逮捕され、大阪府東成警察署で右事件につき取調べを受ける中で、同署警察官から他にも事件を犯しているなら言うようにと言われただけで、同日中に、同署警察官に対し、金を奪うために判示第三の犯行を犯した旨自供し、すぐに同警察署から連絡を受けて派遣された大阪府警察本部の警察官にも引き続き右自供を維持して、いまだ現行犯逮捕にかかる判示第四の犯行の取調べの段階で、初めから、判示第三の犯行の被害者の殺害ばかりか、それが金銭奪取の目的による犯行であることを自白したことが認められ、さらに、被告人は、公判廷においても、このように判示第三の犯行を自白したのは、被害者に可哀想なことをしたとの気持ちがあったので、判示第四の犯行の包丁の携帯が発覚して現行犯逮捕されたことが天罰と思われたし、また、右包丁が判示第三の犯行にも使用した物であったので黙っていてもいずれ判示第三の犯行も発覚すると思ったからである旨供述し、右自白については、その直接のきっかけは、捜査官に他にも事件を犯しているなら言うようにと促されたからであるものの、その段階では捜査官側には被告人が判示第三の犯行の犯人であることは全く判明していない様子であったが、判示第三の被害者を殺害したことばかりではなく、それが金銭奪取の目的による犯行であるとの点も、被告人の方から全く任意に供述したものであることを認めている。

そして、被告人は、その後の捜査での判示第三の犯行についての取調べにおいても、犯行の動機につき、初めは、ただ所持金も乏しくなって生活費に窮迫したのであまり抵抗しない女性から金品を強取しようとしたとの旨供述していたところ、途中から、これに加えて、前記認定のようにして若い女性が憎かったことから、特に若い女性を襲って金品を奪ってやろうと思った旨供述するに至ったが、判示第三の犯行が最初に自白したとおり強盗目的の犯行であったことは一貫して認めてきたのであり、その強盗を企図した動機の供述も、前記認定の当時の被告人の窮迫した経済状態からしてうなずける。

以上の右犯行が強盗の目的であった旨自白した経緯、その自白が一貫していること、その自白にいう強盗の動機も事実としてうなずけることに加え、被告人は第一回公判期日においても強盗目的の点を含めて右犯行を全面的に認めていたことからすれば、判示第三の犯行が強盗目的によるものであることについての捜査段階での自白の信用性は極めて高いと言わざるをえない。

これに対し、被告人は、公判廷において、右のように強盗の目的であった旨自白したのは、判示各前科の際の取調べの経験からして、判示第三の犯行も働いていない時のことなので捜査官から強引に強盗目的の犯行であると決めつけられることは分かっており、早く取調べを済ませてもらいたかったからであり、取調べが進む中で、担当の捜査官がなぜ若い女性ばかり襲うのかとその心情を尋ねてくれたため、初めて前記認定のような若い女性に対する憎しみの気持ちを吐露したが、右捜査官も、結局は、右犯行は強盗目的の犯行であると決めているようであったので、やはり前記の公判廷で供述したような自分の本心は取り上げてもらえないと思い、その後も捜査官の言うままに強盗目的の犯行であると認めてきた旨弁解している。しかし、判示第三の被害者の殺害が強盗の目的によるものとなれば、それが強盗殺人罪による無期懲役刑の仮出獄中の犯行であるだけに勿論極刑が予想されることに鑑みれば、被害者を殺害した事実ばかりでなく、それが強盗の目的による犯行であったとまでは、あきらめや投げやりな気持ちから事実に反して自白できる事柄ではなく、前記のとおり捜査官による強制はもとより誘導も示唆もないのに、冒頭から捜査官の考え方を推し測って自ら積極的に強盗の目的による犯行であることを認める虚偽の自白をし、また、取調べが進む中で、捜査官に対しても公判廷で供述したのと同様に若い女性に対する憎しみの情があったことを打ち明けながら、捜査官は強盗目的の犯行と決めていると推し図って、右の自白をひるがえすことまではしなかったとの旨の弁解は全く信用できない。また、被告人は、第一回公判期日において強盗目的の点も含めて全面的に公訴事実を認めたのは、先ず事実を認めないと警察に戻され、裁判が進行しないと思っていたからである旨弁解するが、被告人は、右公判期日前に弁護人と面会し、弁護人から強盗の目的がなかったのなら罪状認否のときにはっきりその点を否定するように指示されていたことや、関係各証拠によれば、被告人は、前刑前科の裁判では一審から強盗殺人の殺意を否認していたことが認められ、被告人が刑事裁判手続きについて右弁解のような誤解をしていたとは考え難いことに鑑みると、右弁解も信用できない。

なお、関係各証拠によると、被告人は、被害者が所持していた鞄に触れもしなかったことが認められるが、一方、被害者は、被告人から判示の刺身包丁を突きつけられるや「助けて」と悲鳴を上げ、右包丁で再度突き刺されてからも右鞄を離さずにしばらく判示地下通路を引き返しており、被告人は、被害者を右包丁で再度突き刺した直後に犯行現場へ向かって駆けつけてくる人の足音を聞いて直ちに逃げ出したことが認められるから、右のように被告人が被害者の所持していた鞄に触れもしていないことにより、被告人に金品強取の意思がなかったものと推測して前記捜査段階での自白の信用性を否定することはできない。

以上のとおりで、被告人の公判廷における弁解によっても、判示第三の被害者の殺害が生活費に窮迫しての強盗目的の犯行である旨の前記捜査段階における自白の信用性はゆるがず、被告人の公判廷及び捜査段階における供述からして前記認定の若い女性に対する憎しみの念も右犯行の動機の一端であったことは否定できないにしても、被告人は、判示のとおり強盗目的で被害者を殺害したものと認められる。

五  次に判示第二の犯行についてみる。

被告人は、判示第二の犯行についても、捜査段階においては一貫して、判示第三の犯行と同様の動機により被害者から金品の強取を企てたものである旨自白しており、判示第二の犯行においては、被告人は、現に被害者からセカンドバッグを強取したことが、証拠上明らかである。

これに対し、被告人は、公判廷において、被害者からセカンドバッグを奪ったのは、被害者が右バッグで頭を防御していたので殴るのに邪魔になったし、咄嗟に若い女性の持ち物をみたいという好奇心がわいたからである旨弁解し、前記の捜査段階での自白は、当時、既に判示第三の犯行についての被告人の取調べ、その他の捜査が進んでいて、捜査官が判示第二の犯行も判示第三の犯行と同様に金品の強取を企図した犯行であると決めつけていたので、捜査官の言うままに事実に反して金品の強取を企図した犯行であると認めたものである旨弁解している。

先ず、右セカンドバッグの奪取の点の被告人の弁解についてみるに、関係各証拠によれば、被害者は、被告人から金属製のパイプで頭部を殴打され出して、右セカンドバッグを持ったまま両手を頭にかざして頭部を庇ったことが認められるが、右セカンドバッグは、縦約二〇センチメートル、横約三〇センチメートル位でそれほど大きくなかったことが認められるから、被告人としては、右のような被害者の防御の隙間からその頭部を殴打することができたであろうし、勿論いくらでも被害者の身体のその他の部位を殴打することもできたのであって、被害者を痛めつけるにわざわざ右セカンドバッグを取り上げねばならないほどそれが邪魔になったというのは理解できないところであり、また、被告人は、若い女性に対して憎しみの情しか抱いておらず、ただそれがために被害者を痛めつける犯行に及んだというのにも拘らず、しかも、さんざん被害者を殴打している中で、急に若い女性の持ち物をみたいという気持ちがわいたというのも不自然であって、右弁解は容易に信用できない。弁護人は、公訴事実のように被告人が初めから金品の奪取を企てたのであれば、被告人は、犯行後約一キロメートルにわたって右バッグを持ち歩いたのであるから、当然その間に金銭や金目のものを抜き取っているはずであるが、被告人はそのようなことをしていない旨主張するところ、関係各証拠によれば、弁護人主張のとおり被告人が犯行後右バッグを持ち歩いたことは認められるが、被告人の捜査段階の自白、奥田裕美の司法警察員及び司法巡査に対する供述調書、山口久代及び中野文子の司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人は、右バッグを奪取した直後に近くの室の玄関ドアの鍵を開けるような音を聞いたうえ、現場から逃走して犯行現場のマンションから路上に出た際には、その向いのマンションから泥棒と言う叫び声を聞いたため慌てて逃げたこと、そして、その逃走途中に警察のパトロールカーを見かけ、このまま右バッグを持って歩いていると、そのパトロールカーの警察官に呼び止められたときに捕まると考えて、路上の植え込みの陰に右バッグを捨てたことが認められるのであって、以上の各事実に照らすと、被告人としては逃走中に右バッグの中を見て金銭や金目のものを抜き取るような余裕がなかったものと窺われる。

そこで、被告人の捜査段階での自白の信用性についてみる。関係各証拠にによれば、本件捜査の経過として、判示第二の犯行についての被告人の取調べは、殆んど、判示第三の犯行の起訴後に行われ、従って、被告人の判示第二の犯行についての詳細な自白も判示第三の犯行の起訴後に聴取されており、ただ、これより前の判示第三の犯行についての取調べの中で、被告人は、昭和六三年二月六日ころに初めて判示第二の犯行について自供し、遅くとも同月一三日には判示第二の犯行も判示第三の犯行と同様に生活費に困って若い女性から金品の強取を企てたものである旨概括的に自白しているが、被告人が初めて判示第二の犯行を自供した時にも既に、被告人は判示第三の犯行が強盗目的の犯行であったことを自白していて、捜査官も判示第三の犯行につき強盗殺人として捜査を進めていたことが認められるのであって、被告人の弁解のように、捜査官が、判示第二の犯行についての被告人の取調べに当たり、これも判示第三の犯行と同様に強盗目的の犯行であろうとの先入観を持って臨んだということは考えられないことではなく、また、被告人としても、既に大罪の判示第三の犯行を自白してしまったのであるから、これよりは軽い判示第二の犯行については比較的簡単に捜査官の考えに迎合して自白することも考えられないことではないので、右捜査段階での自白の信用性については慎重な検討を要する。しかし、被告人は、判示第二の犯行においては現に被害者の所持していたセカンドバッグを奪取しており、そのバッグを奪取した動機について、前記のように被告人の公判廷における弁解が信用できないのに対し、所持金が乏しくなって当時の生活振りからして間もなく生活費に窮迫する状態であったことから強盗を企てたとの旨の捜査段階での自白は、前記認定の当時の被告人の経済状態に照らして十分了解できることに徴すれば、判示第二の犯行ももとより被害者から金品を強奪することを企てて敢行したものであるとの旨の被告人の捜査段階の自白の信用性は高く、前記の被告人の公判廷における自白の経緯についての弁解を配慮してもゆるがないというべきである。

以上のおり、判示第二の犯行についても、前記の被告人の捜査段階での自白は十分信用できるので、被告人の公判廷及び捜査段階での供述からして前記認定の被告人の若い女性に対する憎しみの念がその犯行動機の一端であったことは否定できないにしても、もとより金品の強取を企てての犯行であったと認定すべきである。

六  なお、判示第二及び第三の各犯行に通じて、弁護人は、被告人はそれほど多額の金銭を所持していないと思われる若い女性ばかりを狙っており、これは、強盗目的の犯行にしては不合理で、前記の捜査段階の各自白の信用性を疑わせるとも主張する。しかし、被告人は、捜査段階においても、右各犯行が強盗の目的での犯行であったことを自白するとともに、若い女性が憎かったので特に若い女性を狙ったのであると供述しているところ、前記認定のようにして被告人が若い女性に対して激しい憎しみの情を抱いていたことは肯認でき、前記の被告人の公判廷での弁解も併せ考えれば、被告人としては、金品を強奪する目的で右各犯行に及んだにしても、若い女性に対する憎しみの念を晴らす気もあって、若い女性ばかりを狙ったものと窺えるから、弁護人の右主張は当らない。

七  最後に判示第一の犯行についてみる。

被告人は、判示第一の犯行に関しても、捜査段階では、所持金も少なくなってきて、働きにも出ない生活状態のもとでそのうちに生活費に窮迫することになると考え、また、若い女性に対する憎しみの念も募り、若い女性を襲って金品を強取しようと企てた旨、強盗の目的での犯行であったと自白している。

しかし、関係各証拠によると、判示第一の犯行の被害者はセカンドバッグを携帯していたが、被告人は右セカンドバッグに触れもしなかったことが認められるばかりか、被告人は、捜査段階において右セカンドバッグの写真を見せられても、それに見覚えがないというのであって、判示第一の犯行においては、被告人は被害者の携帯品も認識していなかったものと窺われ、先ずこのことからして、右犯行が強盗目的の犯行であるというには疑問がある。

そして、判示第一の犯行当時の被告人の経済状況についてみると、前記認定のとおり、被告人は当時まだ手許に六万円位の現金を所持していたのであって、当時の被告人の経済状態は、判示第二及び第三の各犯行当時とはかなり異なり、当面の生活には困らなかったし、そのころ被告人は働いてなかったとはいえ、にわかにその先の生活費を算段しなければならないほどの状況であったとも言えず、前記捜査段階の自白に言う強盗を企てた動機は理解し難い。この点に関して、検察官は、被告人が稼働しない以上、いずれ六万円位の所持金がなくなることは明らかで、被告人は、当面過ごせる所持金があっても先々のことを考えて手当しようとする比較的慎重な金銭感覚の持ち主であるから、前記自白にいう強盗を企てた動機はうなずける旨主張するが、被告人がそのような金銭感覚の持ち主であるとは決めつけられないばかりか、被告人は、当時、無期懲役刑の仮出獄後三か月余りを経たばかりであったことに鑑みると、感情にかられての犯行ならばともかく、にわかに生活費に窮迫することもないのに先々のことを考えて強盗を計画して実行するとは通常考え難い。

また、検察官は、判示のとおり、被告人は、判示第一の犯行の一月余り前に、新潟市方面まで旅行した際、運転してきたレンタカー内にロープやチェーン等を所持していたことについて、当時、警察官に対し、所持金がなくなればこれらを使用して強盗するつもりであった旨供述したことを指摘して、被告人は、既にこの時点で場合によっては強盗をすることも考えて行動しており、被告人には金銭の困窮状態に陥った際に安易に強盗を実行しようとする犯罪傾向が認められる旨主張するが、被告人及び弁護人は、右供述は真実でないと争っているところ、このころから、被告人の心中に金銭に困窮すれば強盗をしようかという考えが浮かぶことがあったとしても、結局、被告人は強盗の実行に及んでおらず、実行するまでの決意を固めていたとまでは認定できないし、前記のとおり、判示第一の犯行当時には、被告人はさほど金銭に困窮していなかったのであるから、判示第一の犯行が金品強奪の目的で敢行されたものであると断定することはできない。

そこで、前記の捜査段階における自白の経緯についてみるに、被告人は、公判廷において、判示第一の犯行についての自白も、当時既に判示第三の犯行についての取調べが進んでいて、捜査官は判示第一の犯行も判示第三の犯行と同じく強盗目的の犯行と決めつけていたので、捜査官の言うままに強盗目的の犯行であると認めたに過ぎない旨弁解しているところ、関係各証拠によると、確かに、被告人は、判示第三の犯行の取調べが進行中の昭和六三年二月六日ころに初めて判示第一の犯行を判示第二の犯行と併せて自供したが(但し、調書は作成されていない。)、その後も判示第三の犯行の取調べの中で、判示第一及び第二の各犯行について共に生活費に困り強盗に出かけて女性を襲った旨概括的に自白したうえで、判示第三の犯行の起訴後の同月二七日ころから、判示第一の犯行につき本格的に取調べを受けたこと、しかも、判示第一の犯行の取調べは、現に被害者のセカンドバッグを強取していて強盗目的の犯行と認められる判示第二の犯行の取調べとほぼ同時期に進行したことが認められ、以上の経過に加えて、判示第一の犯行日と判示第二の犯行日とは約一月しか離れていないことからすれば、捜査官側には判示第一の犯行の取調べに当って同犯行も判示第二及び第三の各犯行と同様強盗目的の犯行であるとの先入観があったと推測できなくはない。一方、判示第一の犯行の結果は被害者を負傷させたに留まるから、既に大罪の判示第三の犯行を自白した以上、被告人が、安易に捜査官の考えに迎合して判示第一の犯行も強盗目的の犯行であると認めることも有り得なくはない。

また、被告人は、前示のとおり、第一回公判期日において判示第一の犯行も含めて全ての公訴事実を認める旨陳述しているが、この陳述についても、被告人にとっては大罪に該る判示第三の犯行についてどのように認否するかが最も重要であったろうから、これを全面的に認める心境になったからには、他の公訴事実を争って審理を伸ばすほどのこともないと考えることもあり得ないことではない。

以上指摘の各事情を併せ考えれば、判示第一の犯行も強盗目的の犯行であると認めた被告人の捜査段階での自白及び第一回公判期日での陳述については、信用性に疑いを抱かざるを得ない。

そして、判示第一の犯行がもっぱら若い女性に対する憎しみの念からの犯行である旨の被告人の公判廷における弁解についてみると、被告人が当時若い女性に対して憎しみの感情を持っていたことは前記認定のとおりであり、右感情が姪啓子との再会を果せなかったことからかり立てられたことに鑑みれば、判示第一の犯行当時においては、その時期からして判示第二及び第三の各犯行当時より、被告人の右のような若い女性に対する憎しみの感情は激しいものであったと推測でき、もっぱらこれが判示第一の犯行の動機であったとしても、あながち不自然とも言えない。

そうすると、被告人の各前科と、類似の判示第二ないし第四の各犯行がいずれも強盗目的の犯行であると認められることからすれば、判示第一の犯行も強盗目的の犯行であったのではないかとの疑いはあるが、判示第一の犯行が公訴事実のように強盗を企てての犯行であると認定するには、証拠が十分でなく、なお合理的な疑いが残るというべきである。

第二  判示第一の犯行における殺意について

被告人は、公判廷において、判示第一の犯行については殺意はなく、意識的に急所を外して被害者の右肩を狙ったが、被害者の背が高く被害者が左側に振り返ったので背中に刺さった旨弁解する。しかしながら、被告人の捜査段階の供述、乙川夏子の検察官及び司法警察員(四通)に対する各供述調書、医師佐藤尚司作成の診断書及び同人の司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の昭和六三年二月二四日付(二通、一二丁のもの及び七丁のもの)及び同月二六日付各捜査報告書並びに押収してある果物ナイフ一丁(〈証拠〉)によれば、右犯行の凶器は被告人が自宅から所持してきた刃体の長さ約10.3センチメートルの果物ナイフであること、被告人は、被告人に背中を向けて佇立して攻撃を受けるとは全く予測していなかった無防備な被害者に対し、背後から、いきなり逆手に持った右ナイフで力一杯突きかかったこと、右ナイフは、被害者の背中の左側中程あたりに、刃先を胸部中央方向に向けて殆んど刃体の付け根まで深く突き刺さったこと、その結果、右ナイフは、左背部から刺入し、左肺から心臓の方向に進んで内臓等を損傷しており、発見が遅れたり、刺入角度が少しずれれば被害者が死亡する可能性が極めて高かったことが認められ、以上を総合すれば、被告人に殺意があったことは十分認められる。

なお、右各証拠によれば、被害者は、背後に被告人の気配を感じた途端右ナイフで刺されたのであり、被告人が突き刺す時点で振り返りかけたとしてもそれほど大きな動きをしなかったと認められ、前記認定の傷の位置からしても、被告人の前記弁解は到底信用できない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二〇三条、一九九条に、判示第二の所為は同法二四〇条前段に、判示第三の所為は同法二四〇条後段に、判示第四の所為は同法二三七条にそれぞれ該当するところ、判示第一及び第二の各罪については、いずれも所定刑中有期懲役刑を選択し、判示第三の罪については、後記量刑の事情に照らして所定刑中死刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるが、その一罪つき死刑を選択したので、同法四六条一項本文により他の刑を科さないこととして被告人を死刑に処し、押収してある刺身包丁一丁(〈証拠〉)は判示第四の犯行の用に供した物で、また、果物ナイフ一丁(〈証拠〉)は判示第一の犯行の用に供した物であり、いずれも被告人の所有するものであるから、同法一九条一項二号、二項を適用してこれらを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の事情)

判示第三の犯行の動機は、前示のとおり若い女性に対する憎しみの念も一端にあったが、生活費に窮迫したことにある。ところで、被告人が生活費に困窮するに至った事情をみるに、被告人は、前示のとおり仮出獄中という負因があったとはいえ、更生保護会等の援助もあり、真面目に稼働する意欲があれば、稼働して生活に困らないだけの収入を得ることが十分可能であったのに、昭和六二年四月三〇日に前刑の仮出獄により更生保護会の宿舎に寄宿した後しばらくは稼働したものの、同年六月一四日にアパートを借り、更生保護会の宿舎を出て一人で暮らすようになってからは、殆んど稼働しないで無為徒食の生活を続け、同年一〇月二日に保護観察所の呼び出しに応じなかったこと等から保護観察所に引致された時には前刑受刑中の報償金や母が遺してくれた貯金の払戻金のまとまった金銭も使い果たしていて、右のように保護観察所に引致されて更生保護会の宿舎に引き戻されたことにより、そのころから同年一二月初めころまでは稼働したが、その後またもや稼働しなくなり、保護観察所や更生保護会には警備保障会社で夜勤をしているなどと偽って続けて借りていた前記のアパートで自由に暮らして無為徒食の生活をしてきたがために、生活費に窮迫するに至ったのである。被告人は、このように無為徒食の生活を送るようになったのは、心の支えとしてきた姪啓子との再会が果たせなかったため、大いに落胆し、虚しくなったためであるというのであるが、被告人が姪啓子と会えず落胆したこと自体は理解できるとはいえ、被告人としては、稼働せずに暮らしておればいずれ生活費に窮迫することは目に見えており、特に、判示第三の犯行に及ぶ約三か月半前には、保護観察所に引致されたものの、判示第一及び第二の各犯行が発覚していなかったことから、それまでの仮出獄の条件違反については不問に付されるという寛大な処遇を受け、考え直して生活を改める機会を与えられたのに、ほどなくしてまたもや無為徒食の生活を送るようになったのであって、前記のように被告人が生活費に窮迫するに至ったのは、結局、被告人に更生意欲および稼働意欲が欠けていたからであるというほかない。そして、被告人が若い女性に対して憎しみの念を抱くようになったのも、身勝手な考えによるものと言うべきであって、判示第三の犯行の動機にはなんら汲むべき点はない。

また、その犯行態様は、当初から若い女性を刺し殺して金品を強奪しようとの決意のもとに、凶器として広告紙を巻いて準備した刺身包丁を携帯して、適当な若い女性を物色しながら約一時間半ほども路上や判示の地下通路を徘徊し、あたりの状況を見きわめてから犯行に及んでいて計画的であるうえ、周囲に人影がない状況下で突如通行中の被害者の前に立ち塞がって、被害者が悲鳴を上げて助けを求めるや、いきなりその胸部を続けざまに二回力一杯右刺身包丁で突き刺して、被害者を救護のいとまもなくその場で殺害したもので、まことに冷酷かつ残虐である。

一方、被害者は、春秋に富む当時一九歳の女子短大生で、父親を早くに亡くし母と大学生の兄とで暮らしていて不遇な境遇にありながら、アルバイトをするなど努力して平和な学生生活を送っていたところ、当夜たまたまアルバイト先の先輩と食事をして帰宅が遅れ、自宅最寄りの判示地下鉄の駅から自宅に電話したうえで帰宅を急いでいる途中で突然被告人の凶行にあったのであって、同女の恐怖及び無念さは計り知れない。また、夫を亡くした後、女手一つで苦労して被害者らを養育し、ようやく生活も落ち着くめどがついてきた矢先に愛娘を奪われた母親や、被害者を迎えに行って無残な被害者の死に直面した兄ら被害者の家族の悲嘆も想像を絶するものがあり、被害者の遺族らはいずれも、被告人に対して極刑を望んでいるのも、もっともと言うべきである。そして、右犯行は、夜間とはいえそれほど遅くない時間帯に公共の交通機関である地下鉄の駅の通路で発生した通り魔的犯行として社会に大きな不安を与えたことも、無視できない。

しかも、被告人は、前示のとおり強盗殺人罪による無期懲役刑の仮出獄中の身で、右仮出獄後八か月余りの間に、判示第一及び第二の各犯行に重ねて判示第三の大罪を犯したのであって、以上の各情状に照らすと、判示第三の犯行についての被告人の刑責は量り難いほど極めて重大である。

そのうえ、判示第一ないし第三の各犯行状況、被告人は、判示第三の犯行の後も、再び同様の犯行を企て刺身包丁を携帯して市中を徘徊して判示第四の犯行に走っていることや、前示のとおり被告人には前記強盗殺人罪の前科の前にも強盗殺人未遂罪の前科があり、これら各前科の内容等も合わせ考えれば、被告人には残忍で凶暴な性格が潜在しているものと看取されて、被告人の人命侵害にわたる犯罪傾向は、甚だしく強度であると言わざるを得ない。

もとより、被告人は、幼くして父親を亡くし、疎開先で母親に養育されて、決して恵まれた成育環境のもとに育ったわけではなく、鑑定人濱中雅子及び浅野春雄作成の鑑定書によれば、被告人は分裂病質である疑いが濃く、前示のように被告人が若い女性に対し異常な憎しみを抱いたのには、右の性格的気質が影響していると認められ、さらに、被告人は、前刑受刑中の一七年間は、一度も懲罰を受けることなく、各種の資格も取得し、非常な努力をして仮出獄を許可されるに至ったのであって、厳しい監視下では環境に順応できる一面を有するし、また、判示第三の犯行につき、被害者が母子家庭で育ったものである旨の報道に接して、自己の境遇と重ねあわせて憐憫の情を感じ、一度は自首を考えもし、判示第四の犯行で現行犯逮捕されるや、その日のうちに自供したほか、その他の各犯行についても捜査官に進んで自供するなど、今や本件各犯行について悔悟、反省していて、かように被告人に有利な情状も認められる。

しかし、やはり前記の判示第三の犯行の刑責の重大さや被告人の犯罪傾向の強さに徴すると、右のような被告人に有利な情状を全て酌量しても、判示第三の犯行について極刑を選択するのもやむを得ないと認められる。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官米田俊昭 裁判官白石史子 裁判官井上一成)

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